お酒

 祖父が死んだ。肺炎だった。明日、天国に行く日。


 アル中で、死に際はお酒を止められていたので一滴も飲まずじまいだった。明日はたくさん大好きなお酒を注いで送るつもり。


 正直、問題の多い人でけむたい存在だった。  

 それでも一緒にお酒を交わさなかったことが今では唯一の心残りだ。


 今日の通夜には予想以上にたくさんの人が弔問してくれた。祖父も嬉しかっただろう。


 明日が顔を見れるのも最期。これからは大好きなお酒をたくさん飲んで欲しい。


 またね。じいちゃん。

花火

 今年は花火を見ることなく音だけ楽しんだ。

何せ、一年の空白期間(無職)のあとにいきなり慣れない接客業にチャレンジしたから

いまだに教えられたことを追うのが精一杯で仕事が終わるとぐったりしてしまう。

部屋に入るとベッドに吸い込まれるので外で花火を見るのは諦めた。 

 今年は仕事の忙しさと花火の音で夏を感じた。

 

 来年はどんな風に夏を感じるのだろう。

できることなら、来年の夏までになにか劇的な変化が起きて欲しい。

 

 願うことばかりだから、実行しなければ。

 

 

 

役者

 本当の私なんぞ自分でもわからないのである。

 部屋を一歩外に出ると私は「私」になる。鉤括弧で固くバリアする。

 本当の自分がばれないように。与えられた仕事をそつなくこなし、細々と気を利かせ、笑顔を作り、声色も少し高めで。

 でも本当の私は現実世界よりネットの世界が大好きなのだ。何もしないのが大好きだ。ベッドの上に寝そべって、そこから動くことなく、ツイッターを開いては承認欲求を満たすためにつぶやきを投稿する。誰かに自分の考えをただ「見て」欲しい。ふぁぼられればなおよし。自己満足の世界に没頭するのである。声も低め。

 今日食べた物、聴いた音楽、自撮りをUPしては通知欄に数字が表示されるのを待つ。好きな人のツイートをこっそり覗いては今日もお疲れさまと心でつぶやきそっと文章を指で撫でる。そんなだらしなくすぎる時間が大好きだ。

 明日の朝、目覚めたらまたギリギリまで私の世界に浸り、15分ほどで急いで身支度をして「私」に変身する。職場までの坂道を自転車で登りきり、一汗かいて「私」はまた声色を高めに、きちきちと動く。

 ふと、笑顔を作りながら、手元を見た瞬間に考える。

 

 これが「私」なのか?

 

 職場から帰り、やらなければならないことを見事に放棄してツイッターに向かう。ベッドに寝そべって携帯の画面を覗きながら、ふと、考える。

 

 「私」何してるんだろう。

 

 「私」が何者なのか、本当の私は何なのか。急に立ち止まるのだ。私の脳みそは。

自分が何をすべきなのかもわからなくなる。虚無感から逃れるために。ツイッター

 

「今何してるの?」

 

 に必死に答える自分がいた。

 

 何もしてなんかない。逃げているんだ。そんな気がする。ネットの世界でも職場でも、家族といるときも「私」を演じて。

 結局本当の私はベッドに寝そべっているだけ。それも本当の私なのかわからない。

 唯一わかるのは、私は「私」を演じている『役者』だということ。

 

 明日も明後日も、舞台に立つ「私」。何かを感じたくて私は演じている。